院長プロフィール

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院長 早乙女 貴紀 そうとめ たかのり

院長 早乙女貴紀

経歴

  • 國學院栃木高等学校
  • 神奈川柔道整復専門学校

資格取得

  • 柔道整復師
  • EK療法士
  • スタビライゼーションアドバイザー
  • クラシックオステオパシー・ベーシックセミナー
  • トリガーポイントセラピスト・ベーシックコース

My STORY

早乙女家の長男として生まれる

昭和51年6月、栃木県上都賀郡西方村の早乙女家の長男として生まれる。
兄妹は妹が1人の2人兄妹です。

父と母は共働きで忙しく、いつも父方の祖父と祖母に面倒をみてもらっていました。
私の生まれた場所は自然が多く、家の横の川には6月になるとホタルが舞い網戸に付いて黄色い光をよく見たものです。現在も以前ほどではないですが、今だにホタルが生息しています。

小学生で何度も牛の出産に立ち会う経験

祖父の家は酪農家を営んでおり、小学校から帰ってくると牛の世話をするのが日課になっていました。子牛にミルクを与えたり、糞の処理をしたり、搾乳機を牛の乳に付けたりと、飼育するという社会経験を小学生の時に日常に経験させてもらえたことは人生の中で大きな糧になっています。その中で牛の世話をするにあたり鮮明に残る出来事は、牛の出産に幾度も立ち合った事でした。親牛が涙を流しながら陣痛に耐え、胎盤と前足から出てくる子牛をロープでくくりつけ親牛が息むタイミングで引っ張り上げるという作業を、小学生ながら行いました。子牛が産まれた後に、親牛は胎盤を開け子牛の顔や身体を嬉しそうに舐めているのを今でも鮮明に覚えています。たくさんの感動の場面を小学生の頃から経験できたことはとても貴重だと感じています。

野球との出会い

私の住む地域は小学校4年生から野球クラブに入ることが決まりになっていました。僕が所属する地域は村内で1、2を争うチームでした。また、地方大会でも上位に残るチームでもあり練習も厳しかったため、初めの頃はよくいるサボり気味の野球部員でした。
しかしながら高学年になりレギュラーになり、チーム内では4番を任される打者になりました。その頃から野球が楽しくなり、6年生の頃には僕たちのチームは県大会上位入賞するくらいにまでなりました。

楽しすぎた中学野球時代

この流れから中学も野球部に入部。すでに身体が大きかったために、先輩からイジメにあうことも度々ありました。しかし、イジメる先輩を「レギュラーから奪ってやる」と奮起し、中学1年生の後半にはその先輩からレギュラーの座を奪い獲得。最後の大会までレギュラーのポジションを誰にも譲ることなく、主軸として頑張りました。打撃の方は常にクリーンナップを維持しホームランを数多く打っていました。公式戦で予告ホームランを打ったのは一番の思い出です。全国大会には出場できませんでしたが、チームの成績は県大会ベスト4まで勝ち上がることができました。さらに野球が面白くなり進学も野球が強い所に行って自分の実力を試してみたいと思い進学しました。

高校野球時代の試練

高校に進学し県下では強いとされていた高校の野球部に入りました。野球部には栃木県・茨城県・群馬県・埼玉県・東京都など5県から野球に自信がある球児達が集まり切磋琢磨し、技術と精神を高める3年間を過ごしました。甲子園出場は逃したものの、同期の友人2名がプロ野球選手となり一人は現役時代ゴールデングラブ賞やベストナイなどを受賞し、現在(2018年現在)、巨人軍の1軍コーチとして活躍、もう一人はWBC(ワールドベースボールクラシック)に2回出場し2度の優勝を獲得、メジャーリーグにも挑戦したアンダースローのピッチャーがいました。その他の同期は大学に進学し野球を続け名前を残すような選手がたくさんいる中で、自分は実力が伴わず挫折を味わいました。

1年生の時は鳴物入りで入学し、入学早々3年生のレギュラーの中に入り1軍の練習に参加しました。初めは少しづつ結果が出ていたのですが、思うような結果が出ないため自分に対し嫌気がさし苦しんで、言い訳ばかり言うようになっていきました。気がつけば高校2年生の時は腐りきったかっこ悪い野球部員に落ちていました。監督も見放すような死んだ目をしていた、そんな自分を一生懸命に正してくれる仲間がいたり、諦めてふてくされている私を同期のみんなが支えてくれたお陰でやる気を取り戻し、練習に積極的に参加するようになり、最終的には退部せず3年の夏まで続けられました。そのようなこともあり3年時は自分を支えてくれた仲間やチームに恩返しをしたいとかって出て監督に直訴し、裏方でチームを支える役割を監督から与えて頂けました。裏方としてチームの役に立てる事、人の役に立つ事の喜びがこの時に自分の中で芽生えたのだと思います。

大学中退からの就職

高校を卒業し、進学はしたものの学生時代に始めたアパレルのアルバイトが楽しくなり大学を中退し、そのままアパレル業界に就職してしまいました。就職する頃には店長を任されお店の運営や仕入業務など、お客様の好きなものやお客様の好みに応じた商品を取り揃え接客販売をしていました。時にはオーナーとアメリカ・カリフォルニア州へ買い付けへ仕事で行ったりと貴重な経験もさせていただきました。流行りを仕掛けるにはお客様の動向や業界の流れなども組み、様々な商品を海外から持ってきて販売をしていました。お店の方も2店舗を運営するようになり、オリジナルブランドも立ち上げ軌道に乗っていました。

しかしその矢先、9・11の事件があり海外への買い付けも厳しくなる情勢に突入しました。この事件から歯車が少しずつ噛み合わなくなって来ました。国外へ買い付けに行くのにも厳しい検査が多くなったり、買い付けに行くホテル先でも宿泊予約が取りにくくなったりと、買い付けメイン業態から変更しなければならない状況になりました。オリジナルブランドの海外発注も納期が遅くなり、シーズンに届かなくなってしまい経営が悪化。その頃から国内のブランド商材へ移行することになり、流行り廃りが激しい経営環境になってしまいました。

接客が好き

僕はお客さんとのコミニケーションが好きで、接客が楽しいと思いアパレル業界に入りました。お客さんがどこを探しても見つからなかった服を、買い付けで見つけ出し持って帰った時の喜ぶ姿を見る時。初めて大好きな女の子とのデートの時に僕の接客で選んだ服を着てデートに行き、「告白したら付き合えることになった」とそのままお店に女の子を連れて来て紹介してくれたりと、商品を売るという目的だけではなく人との繋がりが生まれる接客が大好きでした。しかし、流行り廃りが激しい商材を販売するようになり、自分が求める接客が置き去りになっていると感じ始めていました。

高校卒業後から始めたサーフィンが趣味で、当時から身体のメンテナンスで整骨院を利用していました。サーフィンで負傷した首や肩などを治療し、さらに、どのような運動をしたら痛くならない身体になる方法を事細かに教えてもらい「好きなサーフィンが続けられる!」と感動をしたのを覚えています。
自分がしてもらって嬉しいことを、そのままお客さんに提供し喜んで頂けたら嬉しいと思いました。
自分が納得のいかない接客を続けるより、お客さんに喜んでもらえる職業に転職しようと柔道整復師になる決断をしました。

ターニングポイント

思い立ったら即決断。大変良くしてくれたアパレル会社の社長に相談し辞表を提出し、円満退社させていただきました。しかし、会社を退社した時には学校に入る入学金も学費もなくゼロからのスタートとなりました。1年の期間と決め派遣会社に登録し工場勤務を始めました。日勤・夜勤を繰り返し夜勤時は残業して日勤の方に仕事をバトンタッチ、さらに日勤の時には仕事を終えたその足で運輸業者で配達物の仕分けのアルバイトを深夜まで行いました。この時期には休みはなく少しでも学費を稼ぐため夜勤の時以外は昼夜と働いていました。期限の1年間を迎え学費などある程度貯まったのを機に、柔道整復師という国家資格の取得を目指し学校に入学できました。

専門学校時代

専門学校に入学し奨学金も借りながら、学校の近くの整骨院で修行しながら夜間に学校に勉強しに行く毎日を過ごしました。その修行先の整骨院は1日平均100人以上来院する繁盛している接骨院でした。私は助手として朝から学校が始まる18時まで修行先で研修し、夜は学校。その後は復習と3年間はみっちり勉強しました。その甲斐あって学校の成績は学年ではトップクラスに入り、年次の全国国家試験模擬テストは全国で7位という成績をとりました。(ちなみに1位は妻でした)
卒業後は「学校で講師として残らないか」と声を掛けて頂いたのですが、臨床に出て患者さんの喜ぶ姿をみたい、患者さんの健康のお手伝いをし一緒に喜びを分かち合いたいとの当初の思いを貫きたいと、お話をお断りしました。

修行時代から開業に至るまで

柔道整復師免許を取得し修行時代お世話になった整骨院で合計3年半勤務し、さらに様々な接骨院や整形外科をパートで働き技術や経験を磨きたいと掛け持ち勤務していました。午前中はA接骨院、午後はB接骨院と周り、勤務先の接骨院では担当施術者の指名制というものがあり、ありがたいことに常に予約が埋まっていました。
さらに週に1度は整形外科に勤務し、リハビリ担当としてオペ後のリハビリなど経験させて頂きました。より良いものを患者さんに提供するには数多く経験しなければと思いたくさんの勤務先で修行させて頂きました。

次の修行先を探しに母校にお邪魔して、就職相談室へ求人を探しに行きました。ちょうどタイミングよく母校の柔道整復科学科長にお会いして次の研修先の求人を探しにきたと伝えたところ、柔道整復科学科長が私に「私の出資で接骨院を開業しないか?学生の臨床の面倒を見てくれ」と頼まれました。学生時代とてもお世話になった先生のお言葉とそろそろ自分自身も開業も視野に考えていたこともあり開業に至りました。

これからの自分

未来

開業してからはより良い医療サービスを患者さんに提供したいと思い、さまざまな整体や勉強会などにも積極的に参加し技術を学んできました。私の原点は患者さんに喜んでもらいたい、楽しんでもらいたい、そして皆さんのお役に立ちたいと思う気持ちが理念となり動いています。これまでの人生経験からこのような理念が作られたんだと思います。

私ができることは患者さんの痛みを取り除く治療や「未病の改善」を行うことにより動ける身体になってもらうこと。痛みのない身体を作ることだと思っています。患者さんのためにより良いものを提供できるよう、これからもさまざまな勉強をし技術を取り入れて行きたいと思います。自分の治療の完成系はまだまだ先にあるとおもいます。患者さんにとって今ある最善の施術を行って行きたいと考えています。

院長 早乙女 貴紀

(柔道整復師 早乙女貴紀 監修)

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